私の同人活動に関して
・自身でも常々この活動に思うところがあった
・「こういうことをする人って何考えてんだ」と思う人が「何を考えているか」知るひとつのきっかけになれば
主に上記の理由でこの文章を公開しました。
この文章が「だから私の同人活動を認めてくれ」「他の同人活動もそうだ」と主張するものではないことをご理解いただきたく思います。
指摘のあった点は主に
・検索避けをしていないこと
・宣伝をしていること
・過去に受注生産をしたこと
【検索避けをしていないこと】
私がこの活動を始めた当初は検索避けをしていたりしていたのですが、やめました。
理由は検索避けをしようがしまいがやっていることは同じだと思ったからです。
「同人グッズを頒布すること=海賊版を販売すること」
という考えが私にはあり、それはそこにいくら創作性が加わっても同じことだと考えます。
※ですがあくまでこれは私が自分自身の活動に対して念頭に置いていることであり、似たような活動をされている私以外の方に思うことではありません。
私自身が検索避けをかけることは、「後ろめたい行為だと認識しつつ言い逃れをしている」という矛盾した行為のように感じるようになったため、検索避けらしい検索避けをやめました。
【宣伝をしていること】
宣伝=鍵アカウントにせず、イベントに出展する旨をツイートしていること
と捉え話します。
まず鍵アカウントにしていなかった理由は【検索避けをしていないこと】と同じような理由になります。
頒布という行為に対して、頒布する旨をインターネット上で公開する以上、イベントに出展する以上、見つかりやすかろうが見つかりにくかろうが大衆に見せるという意味では変わらないと考えます。
「頒布する=有償無償にかかわらず人に渡す」行為がある以上、やっていることは著作権侵害物を作り、人に渡すということ。
頒布する際の責任として連絡先を用意しなければいけない、その点も含めツイッターアカウントを用意しました。意図的に連絡先を隠すつもりがないことを明らかにするためにも、鍵をかけるわけにはいかない。
そして、
・イベントに出展するからには同じもの(※)を好きな人に知ってほしい、同じものを好きな人と交流したい
・見たい、手に取りたいと言ってくれる人に一度に連絡したい。
上記の理由から「宣伝」をしていました。
※同じもの、というのはジャンルやキャラクターのことであり、同人という形自体のことも含みます。
【過去に受注生産をしていたこと】
作っているものの特性上、完成までにかなりの時間を要します。
そして過去に頒布した際「わざわざ来たのになくなるのが早すぎる、実物をみることもできないのか」と言われたことがありました。
それに対して「申し訳ない」という気持ちが生まれてしまいました。
ですがこの「申し訳ない」という気持ちは、著作権侵害物を頒布している身としては適切でなかったのかもしれないと今になって思います。
当時「申し訳ない」という気持ちをもってしまっていた私が、あるグッズを公開した際、それまでとは違う量の反応がありました。しかしイベント開催直前で、時間的にある程度の数を用意することができないことから、また「申し訳ない」事例が発生するのではないかと想像しました。
その解決策として受注を承ることにしました。
そして数量を無制限に受け付けるわけにはいかない(※)ので、受注生産とはいえ、受け付ける個数の上限を決めていました。
※営利を追求するための受注生産と捉えられかねないために
これで
「当日頒布できる数は少ないが、わざわざ足を運んだのにがっかりさせることもなく、営利を追求することもなく、次のイベントでどのような用意をすればいいのか目安(※)を付けることができる」
と考えたためでした。
※必要最低数を見極めることで損失を減らすための物ではなく、最低数を用意できないのであれば頒布すると言わない、などの処置をとるための目安
そもそも作り始めたきっかけは、このジャンルのこのキャラクター、他のキャラ人気には及ばないけど好きだ、こういうグッズがあったらな、この作品の世界ではこういう物が売られていたりするかな、というものを形にしたかったからでした。
イベントに出展するきっかけは他動的なものでしたが、続けていたのはそれ(イベントなどの同人活動)に自身が楽しさを見出してしまったからでした。
頒布するにあたり常に罪悪感が付きまとっていました。こんな物作って、頒布するなんて。
本題と少しずれますが、本同人とは一切関係なく、私は1次的な創作をしていた時期があります。
当時自分の生み出したものに自信がなく、それでも作りたい、見てほしい、あわよくば何か感じてほしいと思いながら活動していました。(イラストや漫画、手芸品などではありませんが)
見てくれた人に、手に取ってくれた人に「自分なんかが作ったこんなものを見てくれてありがとう」と伝えました。
しかしそれを見ていたその道の先輩に、
「『こんなもの』って言ったらお客さんに失礼だろう、何のために活動しているんだ」
と言われハッとました。
私は謙遜、へりくだる意味で「自分なんかが作ったこんなもの」と言いましたが、先輩の言葉に感銘を受けました。
そうだ、いいと言ってくれた人に、お金を出してくれた人に、失礼だし何のためにやっているんだ。自分がいいと思ったものを作りたい、共有したい、伝えたいことがあるがらやっていたのに。
以来この思いが私の中にずっとありました。これを私は適切でない形で今の同人活動にも適用していました。
やってみたら、共有してくれる人がいて、嬉しくて、罪悪感には「それでもいいと言ってくれている人がいる」「自分は常に同人というものについて考え続けている(※後述)」と言い訳をしていました。
好きなキャラを身につけられてうれしいと言われ、久々に原作に触れようと思ったと言われ、
このキャラを同じ方向で好きな人がいてうれしいと言われ、
「この作品(原作)やっぱすげぇよな、最高だよな、大好きだよな」
こういう気持ちを他者と共有できていると思っていました。
これからもそういう人と「自分なんかが作った著作権侵害物」で一緒に楽しんだりしたいと思ってしまいました。原作のことをより深く、自分が特に好きな部分以外のところも、知ったり好きになったりしたいと思いました。
この流れを繰り返したい、続けたいと思ってしまいました。
しかしこの流れの中にいない人から見れば、それもただの承認欲求だったのかもしれません。
私は私の活動ジャンル、普段から興味のあるジャンル、ないジャンルに限らず同人活動というものにある程度のリスペクトがありました。
媒体やジャンルを問わず、情熱やユーモアや愛を感じるものがたくさんあったから。
頒布物を形として実際に見ること、手に取ること、手元に置くことで初めて感じることも沢山ありました。
他者の同人がきっかけで好きになった物や作品もあります。
同じ作品を知り、いろんな感じ方をする人がいる、その存在を知ること。
同人をはじめとするファン活動がきっかけでより原作が好きになること。
2次ではない創作をしている人が好きな他者の作品、それを表現したものを見ること、知ること。
2次的な創作をきっかけに、それとは関係ない2次ではない創作に触れること。
この流れ、交流に私は「ほかの形では得難いもの」を感じ、いいものだな、と。
これはファン活動を逸脱している、原作のイメージを著しく損なわせる、と感じるものを目にする事もありました。しかしそのラインは原作者などの権利者以外が引くものではないと考えます。
だからといって公式な注意がなければ何をしてもいいというわけではなく、原作者、権利者から直接注意があれば即座に終わらせるべきで、賠償などの要求に従うべきもの。
それを前提とした上で、すべての同人活動による事象や問題に常にアンテナを張り、できるだけ色んな意見、考え、事実を「知る努力」を怠らないこと、都度自分の中で考えていくことが同人活動をする上で重要であると考えていました。
その中でどんな事象を目の当たりにしても、
2次創作物を発表すること、有償無償に関わらず人に渡すこと&手に取ること。
これらの行為である以上、誌であろうとグッズであろうと音楽であろうとゲームであろうと同じこと。
公式的な許可が正式に下りないもの、下りていないものは、暗黙のルールなどで「許されたり」「許されなかったり」するものではないという考えは変わりませんでした。
ですので自分がそれらの行為を行う場合は、そこにどんな「創作性」「配慮」「思い」などがあっても、どんな形であっても、他者から見れば「原作そのものに何かしらの影響を及ぼしかねないこと、不当に利益(※)を得ること」という事実は変わらないのだと自戒しているつもりでした。
※金品だけではなく、知名度や1次的な仕事につながること、プラスの感情、評価なども含みます
改めて書きますが、これらは自身以外の同人活動にむけて「だから他のやつも」といいたいわけではありません。私は原作、権利者ではありませんので。
あくまで私が、自身に対して気を付けていること、その考えです。
ですが今回のことで、私の同人活動のせいで、他の同人活動に対して「すべてがただの著作権侵害物の塊で、頒布することは利益目的である」と思う人が増えてしまったら…
「好きな作品のことで不快な気持ちになるなら、何かを好きになることをやめよう」と思う人がいたら…
同人活動の中で、私の活動ジャンルをはじめ、一部の作品を取り扱うことや、一部の表現方法がタブー視されていることもあります。
中でも私の活動ジャンルは、方法や頒布の有無などに関係なく、このジャンルで「同人的な表現をすること」自体が許されないことと考える人も少なくないと感じます。
しかし私には、「タブー視する」そのことも、同人というものを考える中では思考停止していると感じられます。
もちろんこういう現状がある、そのことを無視するわけではなく、それも知った上で、
私は自身の活動の方法、表現を考え、行動してきたつもりでした。
だからといって私の行動が、原作者、権利者からみて「非営利目的のファン活動」であったかなかったか、「不快なもの」であったかは、わかりません。
後ろめたく思っているなら、そんな活動しなければいいのに。
自分でも矛盾した行動をしていると葛藤していました。
ですが後ろめたさの中に沢山の得難いものがあり、私にはそれを捨てたり否定することが出来ませんでした。
他者の著作権を利用して得難いものを得ている以上、原作、権利者への申し訳なさ、後ろめたさを忘れないことこそが必要なことなのだと思っていました。
しかしその考え自体がどうなのか
「得難いもの」は1次的な創作でも得られるのではと言う人もいます。
ある程度共通する部分はあると思います。
しかし私は「同じ作品を好きになった者同士の創作、表現、その交流」の中でしか得られないものがあると感じています。
これは開き直っている、表現の自由を盾に好きなことを言っている、創作者気取りと言われても仕方のないことです。
それをどこまで認めるのか、黙認するのか、認めないのか、罰をあたえるのか、それは原作者、権利者にしか決められないことだと私は考えます。
私はこの同人活動を、権利者側から何か通達があった場合には、即座にやめることは決めていました。(言うまでもなく当然ですが)
それは決して「注意されるまではやれるだけやる」と同義ではありませんでした。
ですがこの考えも適切であったかどうか
私のこの活動がどれだけ原作、権利者に迷惑をかけたのかわかりません。
他者の活動に迷惑をかけたのかわかりません。
どれだけ迷惑をかけうるものだったのかわかりません。
どれだけ不快に思う人がいたのかわかりません。
わからないのか、わかっていなかったのか、わからなくなったのかもわかりません。
常に考えていくことが重要であると思っていた私ですが、考えることが出来なくなったと今感じるので、
この活動をやめることにしました。
参加すると宣言している2つのイベントで最後にします。
ただもう作ること自体もわからなくなってしまったので、「申し訳ない」事例が発生するかもしれません。
というか、私がいるだけ、のスペースになるかもしれません。
素晴らしい原作のおかげで、多くの得難いものを得ました。
このことは変わりません。
原作が好きであること、他者の同人活動が好きであること。
このことも変わりません。
申し訳ありませんでした。ありがとうございました。